2010年12月24日金曜日

Merry X'mas


クリスマス前日の赤坂サカスです。人はまばらですが、今夜はにぎやかになるのでしょう。

2010年12月18日土曜日

夢の島熱帯植物園

 JR京葉線の新木場駅のすぐ側に夢の島公園があり、その中にあります。ラン展を行っているという掲示がありましたが、他の花もきれいでした。

 植物園を出た後は、JR総武線まで散歩です。錦糸町を目指しましたが、日も暮れてきましたので亀戸から電車に乗りました。2時間位歩いたでしょうか。適度な運動です。

2010年11月27日土曜日

紅葉

紅葉を見に行くのに、渋谷で降りた。
代々木公園へ入る予定で原宿まで歩いたが、昼ごろになり食事(インドカレー)したら、別の方向へ向かっていた。
千駄ヶ谷から神宮の森公園、青山通りから六本木まで歩いた。
国立新美術館ではゴッホ展と日展が開かれていた。ゴッホのヒマワリは見たことがあるので、日展に入った。日本画・洋画・彫刻・工芸品・書など多種の美術品が展示されている。


    

一通り見終わってから電車で渋谷へ行き、スターバックスでコーヒーを飲む。

2010年11月17日水曜日

在京「総社の会」

 在京「総社の会」が都市センターホテルでありました。第21回ということですが、初めての参加です。総社市からは片岡市長他数名の市の職員の方が来られていました。市長がスライドを使用して総社市の取り組みをプレゼンされましたが、宝福寺、五重塔をライトアップし、12月に入ると駅前通りもイルミネーションで飾るということです。明るくなり結構なことです。タクシーの乗車料金は、来年から市の端から端に行ったとしても300円になるということです。これまた、結構なことですが、私の実家は総社市ではないのでこの恩恵にあずかるチャンスは少なさそうです。
 現役の国会議員の来られていましたが、何といっても総社市は橋本龍太郎です。ご夫人が来られていましたが、ご挨拶に伺う人が絶え間なかったようでした。

2010年9月22日水曜日

鈴鹿へ久しぶりに行きました。


 近鉄の白子駅は変わっていませんでしたが、駅前通り商店街はシャッターが降りている店が目立ちました。
 ステーキやしゃぶしゃぶを食べに良くきた「レマン」はなくなっていましたが、それでも看板には、まだ「レマン」の名前が残っていました。

 コーヒー製品を製造しているAGF鈴鹿工場です。周囲の景色に較べて変わってなくなつかしい風景です。
 ところで、白子あたりの宗教は真宗高田派(浄土真宗)です。そして、普通の人がお経を唱えることができる人の割合は高い方だと思います。

2010年9月11日土曜日

稲刈りをしました。

 私が子供のころ稲刈りは10月であった。今では9月である。原因は品種がコシヒカリに変わったことにあるらしい。そういえば、私が覚えているのは「農林…号」である。9月の稲刈りは暑いのが大変である、特に今年は。手狩りではとてもやっってられない。しかし、上手くできているもので機械が稲を刈り、脱穀までしてくれる。
 田植えのときにも、苗を少しずつとり植え付ける田植機の性能に驚いたが、コンバインも見事なものである。倒れた稲であっても起こして刈り取り、脱穀し藁は後部から排出する。一部人手で刈ることも必要だが、その稲はコンバインを脱穀機として使用して脱穀できる。日本の技術力の高さを垣間見ることができるが、なにせ土地が狭く規模が小さいことは外国(米国)に負ける。
 ところで、岡山産コシヒカリの農協買取価格は、一覧表では確か1等級が10,600円/60Kgであった。魚沼産(21,000円/60Kg)の半分だ。大きな田1枚を実質半日かかって刈りあげたが、その収穫量が640Kg(水分約25%)であった。乾燥するので10万円にならないだろう。田を耕し、苗床をし苗を栽培し、田植をし、雑草を取り、肥料を与え水の管理をする、その他の経費込みであるから、安い。

2010年8月15日日曜日

高尾山

    
ケーブルカー/リフト乗車券付割引往復券を購入して京王線新宿駅から高尾山口駅で下車してケーブルカーで高尾山駅へ、そこから山頂まで歩きました。しかしながら、山頂からの景色は霞んでいて遠くを見渡すことはできませんでした。
南武線で分倍河原まで行って京王線へ乗換というルートもあるのですが、所要時間・運賃ともあまり変わりません。

2010年7月13日火曜日

赤坂の坂(6) 薬研坂(やげんざか)


港区赤坂4丁目と7丁目の境界であり、中央がくぼみ両側の高い形が薬を砕く薬研(やげん)に似ているために名づけられたという。左の写真は北側の坂にある標識。





坂上は青山通り(国道246号線)の赤坂支所前の信号であり、奥に見える木々は赤坂御用地。赤坂ガーデンシティ(2006年1月完成)という高層ビルになっている。2004年の写真はこちら



青山通りから南にいったん下り、さらに登る坂道にもう1つ標識がある。

2010年6月3日木曜日

人形町界隈の散策と「あをき」

地下鉄「人形町駅」のA5を出た所で数人が待ち合わせし人形町界隈を散策した。
ルートは、 「歌舞伎町跡・玄谷店跡・旧吉原跡」→「鳥近」 →「大観音寺」→「玉ひで」→「谷崎潤一郎生誕地」→「牡蛎殻町銀座跡」→「茶の木神社」→「水天宮」→「あをき」 です。
大火とか空襲で焼けたのであろう、史蹟碑が建てられたり、通りの名称が残っている程度であり面影はなかった。
「あをき」は、周囲より低く、外壁がコンクリートむき出しの古風な建物です。「ハモ(鱧)鍋」を食しましたが、小骨は全くなく、おいしくいただきました。価格もリーゾナブルです。今度は冬季にフグ料理を食べたくなりました。

2010年5月17日月曜日

世間と隔離された田舎で田植えをしてきました

高齢の両親ですが稲作農業をしていますので、田植えの手伝をしてきました。
現在では田植機が田植をしますので、楽といえば楽ですが、腰の曲がった母にとって稲を運ぶのは重労働です。
新聞はなく、インターネットは繋げてなく、携帯電話の電波は届かないため、TVが唯一の情報源でしたが、特に何事もなかったと思っていました。しかしながら、帰宅してemailを開けたら、Big Newsです。
早速、新社長を囲む会が企画されていました。奢ってもらうには人数が多すぎます。割り勘です。
        

2010年4月27日火曜日

赤坂の坂(5) 円通寺坂


朝の赤坂サカスは人通りもマバラです。
赤坂サカスの裏には坂があり、その裏(薬研坂から一ツ木通りを結ぶ通り)には、円通寺坂があります。この坂道の上ったところには「圓通寺」(赤坂5-2-39)がありますので、この寺院の名称に由来するのでしょう。

   

2010年4月5日月曜日

春の基生会 江戸川公園の桜を見る

 2名のドタキャンがありましたが、他は全員集まり8名でした。未だに忙しい中小企業の社長(2名)はいるが、暇になってきつつある者が増えているのか出席率はいいです。
宴の後、江戸川公園から護国寺まで音羽通り(*)を1駅歩きました。キングレコードのビル前には、多くの歌手のジャケット写真があってあり、その中に1枚やや大きめの写真がありました。後で分かりましたが、「トイレの神様」の植村花菜です。
 (*)護国寺から真っ直ぐ南に延び、五代将軍綱吉が護国寺へ通った御成道でした。幕府は護国寺を建立した桂昌院が生まれた京都の一から九条にちなんで音羽町の地番を1から9丁目とした。当時はお城を中心に1丁目が置かれたが、音羽町だけは護国寺側が1丁目にされた。

 椿山荘の3重の塔です。椿山荘の周辺は椿が自生する景勝の地で「つばきやま」と呼ばれており、現在の敷地は、上総久留里藩黒田豊前守の下屋敷でしたが、明治11年山縣有朋が私財を投じて購入し「椿山荘」と命名したということです。

2010年3月21日日曜日

陸上自衛隊のキャッチコピー「守りたい人がいる」

 埼玉県警は、平成22年度採用試験のポスターなどに使われた「守りたい『ひと』がいる。」というキャッチコピーが、陸上自衛隊の商標権を侵害している可能性があるとして、ポスターの自主回収をするということが報道されました(3/20 讀賣新聞朝刊等)。
 特許庁は、キャッチコピーあるいはスローガンの商標登録は原則として認めていません。(例:「習う楽しさ教える喜び」(不服2000-291号)、「取引者・需要者は、これを、各種学校等の教育に関する役務の理想、方針等を表示する宣伝文句ないしキャッチフレーズであると認識、理解するにとどまり、自他役務の識別標識とは認識しない」(東京高等裁判所判決平成13年6月23日)。問題は、出願された商標がキャッチコピーあるいはスローガンに該当するか否かの判断です。
 私が商標を始めたころ、会社の株主の商標で、有名なフレーズがありました。USPTOのホームページで調査したところ、現在生きているのは3件だけ(そのうち2件は図形商標)でしたが、「スローガンは商標登録できない。」という話を聞くと今でもこのフレーズを思い出します。
 
 (1) 左の図形商標
  (US Reg.No.1705918)
 
 (2) GOOD TO THE LAST, DROP
  (US Reg.No.0676419)

2010年3月10日水曜日

「着メロ」商標権2550万円 都の公売で落札

 昨日の日経新聞等で紹介されています。
 美少女ゲーム「CLANNAD」を開発したゲームメーカー・ビジュアルアーツ(大阪市)が携帯電話など電機通信区分(第38類)の商標(第4194385号)と、広告関連など7つの区分にまたがる商標(第4707135号)を総額2550万2000円で落札したということです。
 落札価格が高いかどうかはさておき、インターネット検索で「着メロ」を検索すると膨大な件数(Yahoo:約78,600,000件)ヒットします。
 ウィキペディア(Wikipedia)では、登録商標であることが配慮され「着信メロディ」として掲載されていますが、現代語辞典などでは既に掲載されているのではないでしょうか?
 新商標権者は、「商標使用の規制や使用料の徴収は一切考えていない」らしいが、商標の管理(普通名称化)の防止が難しいように思われる。もっとも、権利行使を考えず、「着メロ」の商標権者であることの価値が落札価格であると考えたのであれば第三者がとやかくいうことでもない、
 なお、私は、一度ではありますが、依頼されて商標の価値評価を行ったことがあります。関連する雑誌・書籍を読み、知り合い弁理士の意見を聞きながら、鑑定書というかたちで報告書にまとめたのですが、まったにないことらしく、依頼者に失礼かも知れませんが、いい経験をさせてもらったと思っています。

2010年1月26日火曜日

「歴史上の人物名」の商標登録

 ここ2、3日の新聞紙上に、「歴史上の人物名」の商標登録却下とか、取り消しなどの記事をよく目にします。特許庁が審査便覧を改定したのは昨年の秋頃でしたが、その基準に基づく審査がでているものと思います。新聞記事によると、山口市が行った異議申立てについての決定が出たことが引き金となったようです。
 山口市は、吉田松陰、高杉晋作、桂小五郎の3件を商標登録したことに異議を申し立てていたが、すべて認められ、登録は取り消されたということです。
 これとは別に、中也の出身地の山口市は、中原中也と中也についても、他者の登録を未然に防ぐ目的で出願申請したが、特許庁は却下(拒絶査定)を通知したということです。
 私は、「中也」は商標登録を認めてもいいと思っていますが・・・。

2010年1月1日金曜日

明けましておめでとうございます。

2010年、新しい年が始まりました。落ち着いていい仕事をすることができる年にしたいのですが、昨年から続いている懸案事項もあり、なかなか「余裕を持ってじっくりと」とは行かなさそうです。初詣は川崎大師です。